10月22日(木)
最終日は京都で途中下車して、これも以前から気になっていた松尾大社の重森三玲、最晩年の遺作である松風苑に行きました。京都駅から市バスに乗って、松尾大社前バス停で下車、徒歩3分です。
こちらも閑散としていて、七五三まいりの幟が寂しげにはためいていました。
松尾大社は、701年に渡来人の秦氏が松尾山の山頂近くにある磐座を祀った社殿を建立したのが創始と伝えられています。現在の社殿は、室町時代の作で、松尾造りと呼ばれる建築様式です。お酒の神様としても信仰され、境内に「お酒の資料館」が建っています。
松風苑は、1975年に完成しました。古代、平安時代、鎌倉時代の庭園様式や宗教観を現代的に表現した三つの庭園から成り立っています。大きな松の木の奥の渡り廊下の下をくぐると、「曲水の庭」が広がっています。三つの庭に用いた200個以上の石は阿波の青石です。
洲浜を伴った曲水の流れや背後の築山の斜面の石組(いわぐみ)に石橋を架けるなど変化に富んだ構成です。
右奥の朱塗りの欄干のある建物は神像館です。共通切符で入れますから、何気なく入りましたら、神職の方でしょうか、私一人のために丁寧なご説明を承りました。大社所蔵の21体の神像に加えて、摂社・末社に所蔵されていた18体も拝見できます。中には朽ちかけている像もありますが、重要文化財の男神像・女神像は、わが国の神像彫刻の中でも最古最優秀品として有名だそうで、思わぬ出会いが貴重でした。
神像館と葵殿の間にある即興の庭は、当初の計画には全くなかった空間に即興的に造られた枯山水
形式の庭園で、重森三玲の長男の重森完途の作庭です。
古代祭祀の場である磐座を模して造られた「上古の庭」です。
「蓬莱の庭」は、少し離れた入口付近に造られています。三玲が池の形を指示し、その後、完途が遺志を継いで完成させた最初で最後の親子合作の庭園です。回遊式になっているので一周してみました。
龍門瀑形式の生得の滝
蓬莱は不老不死の仙界で、その島に憧れる蓬莱思想は鎌倉時代にに流行しました。古来の石組の手法と現代の池の護岸の手法を巧みに取り入れた池泉庭園ですが、池の水が濁っているのが残念でした。
重森三玲の作庭を最初に知ったのは、60年前に住んでいた団地の一角で見つかった平安時代の庭園遺構を復元された以楽公園です。そのころは有名な方だとは全く知りませんでした。次にご縁を得たのは岡山県立美術館です。その後、木曽福島の興禅寺の庭園や東福寺の庭園を拝見して、松尾大社に至ります。とても面白い方で、ジャン=フランソワ=ミレーに憧れて、三玲と改名されただけではなくて、長男は完途(カント)、長女は由郷(ユゴー)と名づけられます。長男の方は父の西洋趣味を嫌って、お子さんには「万葉集」や「古事記」からとった名前を付けられたとか。
境内にある京漬物の「もり」のお店で共通クーポンが使えたので、小躍りしてお土産を求めました。
ここまでは非常に順調でしたのに、最後にやってしまいました。斑鳩のお宿から荷物を宅配便で発送するときに新幹線の特急券を入れてしまったのです。駅員さんにどうしたらいいかと尋ねると、「紛失再」と印字した特急券を買って、京都と東京の有人改札でスタンプを押してもらうと320円の手数料で払い戻していただけるそうです。払い戻しができるのは1年以内ですが、ブログも書き終えたし、明日、次の旅の切符を買いがてら、特急券を2枚持って行ってきます。全くもう耄碌しすぎですね。
中央線が込まないうちにと早めに帰宅しました。今回もいい旅ができて、お世話になった皆様にお礼申し上げます。
歩数は8704歩でした。